明日をつくる教室

稲とのコミュニケーションで生まれる付加価値

ニセコ猪狩農園

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猪狩 和大

取材日 1月 28日

ニセコ町の南部に位置する宮田地区。この地で稲作をメインとした農業を営む猪狩 和大さん。水田と畑を合わせて農地は40町歩にもなる大きな農家だ。無農薬・無化学肥料での米栽培を試行錯誤して行っている。就農から10年での苦労をお話しいただいた。
猪狩さんは高校卒業までをニセコで過ごし、大学入学のタイミングでニセコを出た。大学卒業後は、愛媛のホテルに就職をした。お客様のニーズをお客様に先回りして考える。それがホテルでのサービスの基本だったという。3交代制の夜勤など、約6年間、忙しい毎日を送っていた。2012年4月、両親が若いうちに農業を学びたいという思いもあり、農家になるために実家に入った。農業はいずれ継ごうと思っていた。

猪狩さんの水田風景

親子で学んだ無農薬・無化学肥料栽培

就農1年目は、両親に農業を教わった。わからないことがとても多く、「こんなことなら、もっと子供の頃に手伝っておけばよかった」と思ったそうだ。猪狩さんにはやりたい農業があった。それは「無農薬・無化学肥料栽培」で稲作をすることだった。「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの無農薬・無施肥でのりんご栽培の話をある日テレビで観て、いつかこんな農業をやってみたいと考えたという。さらに、無農薬や自然農といった化学的な物質を使わない古来の農業技術には大学時代から興味があった。愛媛の大学に在学中には自然農法の第1人者である福岡正信さんの農業への考え方にも興味を持ち、福岡さんの農園に出向いたこともあった。
「どうせやるなら、無農薬・無化学肥料の農業に挑戦してみたい。」そう考えた就農2年目の春前に、瀬棚町で自然農法の稲作農業を営む金谷さんをお父さんと二人で訪ねた。試行錯誤を重ねた金谷さんの農法に二人とも衝撃を受けたのだった。今まで行ってきた自分たちの農業と大きく異なるアプローチに、未来の米作りを問い直していく良い機会だと感じ二人も挑戦することになったのだ。

 

重要なのは苗づくり

しかし就農2年目から始めた無農薬・無化学肥料の稲作は試行錯誤の連続だった。はじめてわかったことは、田植え後であれば無農薬・無化学肥料で栽培をすることは出来るのだが、田植えの前にタネから苗を育てる、「育苗」に課題があった。育苗の段階で化学肥料を無くすと養分が足らずに小さな苗になってしまう。農薬を使わないと生育が安定しない。無農薬・無化学肥料で栽培した不揃いの小さな苗で田植えをしても満足な収穫が得られなかった。

苗をつくる猪狩さん

稲作農家の間では「苗半作」という言葉が昔からあるそうだ。苗の出来が収穫に大きく作用する。そこで猪狩さんはこの育苗に関して、研究を重ねた。育苗に使う土づくりから工夫を行なった。その結果、稲藁を風化させたものやくん炭(もみ殻を無酸素の状態で加熱し炭化させたもの)などを土に混ぜることで、大きな苗が育つことがわかった。無農薬・無化学肥料栽培の研究を始めて5〜6年目でようやくその課題を乗り越えた。ニセコ町内で積極的に行われているYES!cleanという低農薬栽培の5割ぐらいの収量が得られたという。しかし、課題はまだまだあった。

収量と栄養循環

研究の甲斐があり、ある程度の収量が得られた無農薬・無化学肥料での米作農業であったが、収量が急激に下がっていった。YES!cleanでの平均的な収量に対して、翌年は1/2に、その次の年は1/4に、さらにその次の年は1/8にまで収量が下がったという。大きな原因は土の中にある栄養素だ。肥料を入れていないので、その年に刈った稲藁を畑に戻すだけで、収穫したお米の分、栄養素が毎年出ていき、畑が痩せていくのだ。そこで猪狩さんは、時間をかけて水田の土づくりを改めて行おうと考えている。くん炭を土に混ぜたり、堆肥も混ぜる。また、土の改良のために根の深い植物を植えて耕耘の底(硬い層)を壊して土に酸素をいれるようにな方法も検討している。

彼の探究はさらに進む、最近注目しているのは微生物の活用だ。ニセコの地域でも微生物をつかった農法にトライする農家が出始めており、猪狩さんもこの方法の検討をしている。

無農薬・無化学肥料を追求する理由

猪狩さんはニセコについてこう話す。「経済も大切だと思いますが、今のまま水と空気がおいしい環境がずっと続いてほしい。自分が育った子供の頃のように羊蹄山に登ったり、家の近くの川で遊んだり。ニセコにいるからこその体験を自分の子供にもしてほしい。」
猪狩さんにとって環境はとても重要だ。ご自身が先人達から引き継いだ畑や土地や自然環境をとても大事にされている。その環境を自分の子供達にも体験してほしい。そして、大人になったら戻ってきてほしい。そのためにも、戻ってきたいと思える、自然環境を守っていきたいと考えている。このことも無農薬・無化学肥料での農業にチャレンジしている理由のひとつだ。

お子さんと農作業をする猪狩さん

地域の皆さんに応援してもらえるような農家になりたい

自然環境に配慮した農家を営んでいくことと同時に、「地域の皆さんに応援してもらえるような農家になりたい。」猪狩さんはそう控えめに話す。実際、日々のたゆまぬ努力と探求し続ける猪狩さんの姿勢を近くで見て、応援する人は日に日に増えている。その応援は人々に、食のあり方を問い直すきっかけを作り始めている。その意識の変化が少しずつニセコの町の食文化として根付いていくはずだ。
猪狩さんの無農薬・無化学肥料栽培は手間がかかる分、当然高くなる。そこで価格をおさえるために流通をとおさず、直売にし、流通コストを省こうと考えた。そして何より多くの量をつくれないこの米をまずは顔の見える人に食べてもらいたいと考えている。最近では「美味しかった」という声が直接届くようになり、そのことで「もっと美味しいお米を作ろう」という米作りのモチベーションがますます上がっているという。
米からニセコの食文化をつくっていくこと、そして自然環境を守ること、さらに生産者と消費者の関係を応援という関係にかえていくこと、こうした様々な変化がこのまちの未来に大きな変化をつくりだすだろうと思える取材だった。

収穫前の稲の前にたたずむ猪狩さん

 

プロフィール
Photo:牧寛之

ニセコ猪狩農園

猪狩 和大

1982年ニセコ町生まれ 39歳
高校卒業後、愛媛県にて就職
2012年30歳の頃、実家の米農家にて就農
自然栽培(無農薬、無肥料栽培)による米の栽培を研究中

 

文責:

牧 寛之

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