明日をつくる教室

まちづくりの前に、するべきこと。

茶房ヌプリ

/

松田 裕子

取材日 2月 2日

Photo:牧 寛之

JRニセコ駅の駅ナカには「茶房ヌプリ」という喫茶店がある。昭和のモダンな雰囲気を今に残したようなこの喫茶店の厨房を切り盛りする松田裕子さん。平成4年から始めたこのカフェは間も無く30年が経とうとしている。レトロな雰囲気がただようこの喫茶店にはたくさんの時計が掛かっている。ニセコの歴史を刻んできた時計だ。

キャンピング生活からたどり着いたニセコ町

松田さんは佐賀県出身。学生生活まで佐賀で過ごした。その後京都で働いた後、当時非常に人気があったスキー場のバイトを新潟の苗場や北海道などで行っていたという。当時、プロスキーレーサーをやっていた旦那さんとはヒラフのスキー場で出会い結婚された。
旦那さんとの新婚生活は、キャンピングカー1台に寝泊まりしながら日本中を旅して回っていた。「4年間ぐらい真面目に遊んで暮らしていましたね」と松田さんは語る。山に入って山菜をとったり魚を釣って食べたり、如何に少ない荷物で人が生きていけるかということをこの生活で学んだという。このような生活をしながら、北海道に関してもあちこち見て回ったが、最終的に羊蹄山が見えるこの景色とともに暮らそうと、ニセコに住むこととを決めた。

カフェがまちと繋げてくれた

ニセコ駅前で茶房ヌプリというカフェレストランを始めたのは平成4年のことだった。かれこれ30年になる。以前もカフェだったこのテナントを引き継がないかと前オーナーから声がかかった。いずれは山側にペンションでもやろうかと考えていた松田さんだったが、3年ぐらいならやってみようかということで始めてみた。当時はまだSLがニセコの駅まで来ていて、周辺に飲食店は他になかったため年間を通して大いに賑わった。2時間待ち、などということもよくあったという。料理好きの松田さん、人気メニューのカレーの開発には、スパイスや素材にこだわりはあったものの、様々な世代の様々な方に親しみをもって気軽に食べに来てもらえるような味と価格のバランスを意識して開発された。

こうしてカフェを始めてみると、そこで多くの人と知り合うキッカケになった。松田さんには自然とニセコ町のまちづくりの情報が入ってきた。そうした話を聞くたびに「町をもっと良く変えていかなければならない」松田さんはそう思い、現町長の片山さんなどと一緒になってまちづくりに関わっていくことになった。その当時はまだ30代。町議会の議員にもなり、町政に深く関わっていった。町の環境問題に取り組む環境NPO団体を自ら立ち上げて町の環境問題に取り組んで行ったり、駅前の倉庫群の利活用を提案してリノベーションして活用できる施設に変えて行ったり、地域のおばあちゃんたちと地元の農産物の加工を研究して商品化を行なったりと様々にまちづくりの活動を行われた。
特にこの地域のおばあちゃん達と行なった農産物の加工の取り組みは、単純な商品開発にとどまらず地域の家庭料理を提供する活動に発展していった。「じゅうごばあ」という名前で広く知れ渡ることになったこの活動を通して、地域の料理の伝承や山菜の見分け方など暮らしの知恵の継承などが行われたという。

歴史を知ることから始まる「まちづくり」

松田さんは、かつて占冠村(しむかっぷむら)にいたときに読んだ村史が非常に面白いと感じたそうだ。その村にどのような課題があってどのように住民が解決していったか。歴史はいつも綺麗なものではない。時にはネガティブな過去もある。ただ、あらゆる先人の努力と知恵を経て、今に繋がっているということを深く学んだ。そういう過去を知っているのと知らないのとでは、日々の生活で見えてくる景色が変わってくるだろう。だからこそ、自分が住む地域の歴史を知ることはとても大切だと松田さんは言う。
そして地域の歴史を知るためにはこうした書物だけでなく、地域のお年寄りなどから直接話を聞いていくことはもっと大切なこと。会話を通して地域のアイデンティティを身体の中に染み込ませていくのだ。
地域のアイデンティティを体の中に染み込ませるには他の方法もある。例えば松田さんは自分が住むと決めた場所では、まずカメラを持って徹底的に歩くようにしている。歩いて写真を撮ることで普段気にしていなかったもの見えてくる。湧水に気づいたり、入ったことのない路地に入ってみたりと、地域の地理的なアイデンティティも自分の生活の中に馴染んでくる。その結果、そこに住むお年寄りと立ち話をして仲良くなることがよくあるそうだ。仲良くなってそこの地域の昔話をしてもらう。こうしてまちを知ることの循環は生まれていく。

ニセコの歴史でいうと、ニセコは周辺の地域に比べて開拓が遅かった。それは豪雪地域であることに加えて、隆起が激しい土地柄であったことにも起因する。開拓される前は直径約5メートルにもなる大木が2ヘクタールにも渡って生えている原野もあったようだ。そのような厳しい環境が故、まずは東北の木こりの方々が入ってきて開拓が始まった。このようにこの地域の歴史を伝える活動の一環として「BY WAY」という雑誌の発行にも松田さんは関わっている。より良い料理をつくるには各食材の成分や産地、生産方法を知ることも重要なように、より良いまちをつくるには「まちの歴史や成り立ちについて深く知ること」が重要だと松田さんは語る。

まちづくりには新陳代謝が必要

長く議員を務められ、ニセコのまちづくりに関わってきた松田さんだが現在はまちづくりから一線を引いている。
「町をつくるのは、よそ者、若者、馬鹿者。最近では女者も必要。その中でも若者がこの町の課題に気づいて、自分たちで次の町を築いていってほしい」。そう松田さんは語る。それは次の時代に町に住むのは、今の若者だからだ。いつまでも自分たちが関わっていては、これからの時代に必要な新しい考え方やアイディアの邪魔になると松田さんは考えている。まちづくりには世代と価値観の循環が必要なのだ。ご自身が地域の方々の声を聞いて歴史を知って未来をつくってきたように、自分が語る側になろうとしている。

このバトンを若い世代はしっかりと受け取ることが重要だ。
これからのまちづくり担うべき若者が、歴史や文化を知ること、そのためには、この町に長く住む人たちから直接話を聞くことが重要ではないだろうか。他の地域での目新しい先行事例に目を向けることも良いが、目の前にある地域の価値を発見していくこと。その発見する力が求められている。

プロフィール
Photo:牧 寛之

茶房ヌプリ

松田 裕子

佐賀県出身。1991年よりニセコ駅内で「茶房ヌプリ」経営開始。地域のおばあちゃん達で結成される団体「じゅうごばぁ」副代表、 「BYWAY 後志」編集長、元ニセコ町議会議員としてニセコのまちづくりにも広く関わってきた。

文責:

牧 寛之

インタビュー一覧
お問い合わせ