明日をつくる教室

感謝とともにニセコで生きる

農家

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大橋 百合子

取材日 5月 7日

Photo:佐々木 綾香

ニセコ町で農業を営まれてきた大橋百合子(おおはし ゆりこ)さんは、明るく快活な雰囲気の方だ。大橋さんはニセコ町の前身である「狩太町」で生まれ育った。長年この地で生活をされてきた、大橋さんとニセコ町の歴史を取材した。

大橋さんが育てているミニトマト

大橋さんは狩太小中学校の出身。その当時は、小学校で600人も、中学校でも400人の生徒が在籍していた。運動会は小中学校の合同で、1,000人規模で行っていた。大橋さんは陸上競技が得意だった。そのため、運動会の選手として選出されることも多かった。

また、その頃はスキー大会も小学校対抗で実施されていた。「曽我地区の人たちはスキーレースに参加した時上手だったね」と大橋さん。「「バフライ」って言葉があるんだけどね、スキー用語で「どいて」って意味なんです」その時初めてその言葉を知ったと教えてくれた。

大きく成長中のナス

大橋さんは3姉妹の長女。実家の両親は農業を営んでおり、小さい頃から周りの友人たちから「将来は農家になるんでしょ?」と言われることが多かった。また、「家族の手助けをしたい」という思いもあったため、10代で家業を継ぐことにした。そのなか「冬の間だけでも高校に通ったら?」と両親が声をかけてくれた。

現在のニセコ高校は、当時は北海道狩太高等学校と言い、4年間の定時制学校だった。現在もニセコで健在の大橋さんの先輩たちの尽力もあって設立されたものだ。大橋さんは、正式な校舎が建てられてから最初の入学生だったため、その記念として高校入学時には校庭に植樹をしたようだ。

大橋さんが高校入学時に同級生らと植樹した木(手前の列に植えられている木)

大橋さんは20才の時に、ある人の縁で結婚した。夫の実家は林業を営んでおり、良い木は木材、細いものは炭、そして果実園の杭などとして、いろいろな用途で使われた。車の時代ではなかったため、馬を3〜4頭飼育し、労働者が数人働いていた。夫の実家は家族が大勢いて、自給自足をしていたため、米、芋、馬への燕麦(えんばく)を生産していた。そのため、大橋さんの夫は多少なりと農業経験がある方だった。

大橋さんは農業経営で畑作、田、酪農を行っていた。夫は「牛の目が苦手」と牛の世話をためらっていたが、近所の女の子が牛を引っ張っている姿を見て「自分もできる!」と決心した。冬には、運動させるため放し飼いにした仔牛が、買い物に出かけた大橋さんを探して、脱走してしまった事件もあったそうだ。そのときに「自分の声を聞いて、牛が戻ってきた時は本当にかわいいなと感じた。」と大橋さん。

夫を迎え、両親を含めた家族4人で農業を行ってきた。米、芋、ビート、小豆、スイートコーンなどを長年生産してきたが、夫と2人で農業を営むようになってからは、メロン、ユリ、カボチャ、スイートコーンを全て箱詰めでの出荷に変え、夫婦2人でできる農業へと形態を変えた。

大橋さんが育てている野菜はみな大きく育っている

大橋さんは若い頃から農業に勤しんできた。青春時代らしい時期を過ごせなかったが、実家の農業を継ぐことは当たり前だと思っていた。辛いと思ったこともなかったし、自然と自分のやるべきことだと思っていた。

今でこそ農業という一つの仕事の分野ができているが、当時、農業は人々の生活の一部であり、みな農業や酪農、林業など、さまざまなことを組み合わせて「生きるための手段」としていた。

長年夫と農業経営を行う中で、夫は農協理事、農業委員会、大橋さんは農協婦人部、人権擁護委員会、社会教育委員会、社会福祉協議会などに携わってきた。「忙しく大変だったけれど、たくさん学ばせて頂いたことに感謝しています」と大橋さん。

花が咲いた赤ちゃんキュウリ

ニセコ町への思いについて尋ねたところ、「ここまでこられたのは、自分一人の努力ではない。両親が別家してずっと積み上げてきたものの中で、夫と出会うことができ、3人の子供に恵まれた。家族と一緒にいられることへの感謝の気持ちしかない。悲しいこともいっぱいあったが、こうしてここで生活できていることに感謝している。自分はここニセコ町で生まれ、この先もここで生きていく。」と穏やかに語ってくれた。

ご自身の畑で微笑む大橋さん

今回のインタビューを通して、自身が携わってきた農業のことや、これまでのニセコ町の歴史を楽しそうに語る大橋さんの姿がとても印象的だった。実家の農業を継ぐことは当たり前だと思っていたと話す大橋さんの言葉はとても自然で、まっすぐであたたかいものだった。自分のやるべき仕事に実直に、そして真摯に向き合ってきた大橋さんだからこそ、何気ない幸せに大きな喜びを感じられるのだろう。感謝とともに生きる大橋さんから、自分自身が周りの人たちによって生かされていること、今目の前にある幸せに目を向けることの大切さを学んだ取材だった。

プロフィール
Photo:佐々木 綾香

農家

大橋 百合子

ニセコ町の前身の「狩太町」出身。小さい頃から実家の農業を手伝い、10代で家業を継いだ。夫や両親ら家族とともに長年農業を営み、現在は小規模で農業を行いながら、丁寧な野菜づくりを続けている。

文責:

佐々木 綾香

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