明日をつくる教室

未来に種をまく酪農のしごと

木嶋牧場

/

木嶋 智博

取材日 5月 13日

Photo:佐々木 綾香

レンガと木材でつくられた昔ながらの牛舎に牧草を貯蔵する赤いサイロ、そして今ではなかなかお目にかかることができない幌馬車。北海道らしい酪農の風景を残しているのは、ニセコ町の木嶋牧場だ。この牧場の牧場主である木嶋智博(きしま ともひろ)さんは、家業を継いで3代目になる。酪農という仕事と向き合い、多くの人にありのままの酪農の姿を伝えようとする木嶋さんからお話をうかがった。

ニセコの酪農と木嶋牧場の歴史

今から約25年前、木嶋さんが実家の牧場を継ごうとしていた当時、ニセコの農家の多くは、1軒につき大体1-2頭くらいは牛を飼っていた。牛からは収入を得るための牛乳や自家消費用の牛乳、肉も取れ、その牛からできた堆肥を自分の畑に還元することもできた。昨今、農業に挑戦したいという人々の多くが目指そうとしている「循環型の農業」に近いものを当時の人々は行っていた。

近年は、それぞれの家で所有している土地の条件に合わせて、農業や酪農を行う割合を調整するようになり、それぞれの仕事に特化していくようになった。そこから農業や酪農という産業が生まれていった。ニセコ町では今現在(インタビュー実施時点)、8軒の酪農家が酪農業を営んでいる。

木嶋家は、元々、有島武郎が農地解放を行った際の小作人の家だったそうだ。木嶋さんの祖父が本家から分家し、別の場所で酪農を行っていたが、木嶋さんの父が就農し、本家の後継者がいない状況になったとき、本家の土地や牧場を買い取り、1980年に今の木嶋牧場がある場所に戻ったそうだ。

パティシエから酪農家へ

木嶋さんは24才になる年に就農した。木嶋さんは3人兄弟の長男。実家の牧場は自分たち3人の中の誰かが継ぐことになるだろうと感じていた。弟たちの将来の希望を聞いてから、自分が牧場を継ぐかどうか決めようと思った。

高校卒業後は、北海道文理科短期大学(現在の酪農学園大学短期大学部)に進学し、そこで酪農について学んだ。大学卒業後は、一度就職しようと考え、札幌の大手ホテルに入社し、ケーキ職人として働いた。理由を聞いてみると、「甘いもの、特にケーキが好きだったからね」と微笑む木嶋さん。頭で覚えていたものは忘れてしまったが、体で覚えたもの、例えばクリームを搾ったり材料を混ぜる時の手加減などはまだ覚えているそうだ。

同ホテルに勤めて3年ほど経った時、5つ年が離れた一番下の弟が就職することを決めた。それを聞き、木嶋さんは自分が家業を継いで牛飼いになることを決めた。

長く続けられる酪農を

木嶋牧場では、つなぎ飼い牛舎(ストールバーン)と放し飼い式牛舎(フリーストールバーン)の2種類の牛舎で牛を飼育している。放し飼い式牛舎では、大きな一区画の牛舎の中を牛が自由に動き回ることができ、その日その時で牛が好きな場所を選んで休息できるようになっている。

実際に酪農の仕事を始めてから、安定した生活をしていくために自分たちの牧場はどういった方法で運営していったら良いのか、ということを常に考えるようになった。40歳の時に右膝の軟骨が無いことが判明し、10年以上膝の痛みを抱えてきた。手術を受けるという選択肢もあったが、手術から回復までに要する時間や、術後これまで通りの膝の屈曲ができなくなることから、手術はしないことに決めた。これからも膝の痛みと付き合っていくこと、今後夫婦2人だけで仕事をすることになっても続けられるようにすること、これから大きく成長していく子供たちのサポートをできる限り行えるようにすること、、、さまざまな状況を踏まえたうえで、最終的に「体への負担を抑えて、なるべく長く仕事を続ける」ことが木嶋牧場にとって大切なことだと考えた。

そこで、木嶋牧場の場合は、人の手を使わずに自動で牛たちの搾乳をしてくれるロボット搾乳機を導入することにした。日本における牛舎での飼育は、掃除、餌やり、搾乳といった日々の作業を手作業で行うのが基本だが、木嶋牧場で扱っている搾乳機は、牛舎で牛を個々に繋いだ状態でも自動で搾乳をしてくれる珍しいタイプのものだ。これで、搾乳作業における身体への負担を軽減することに成功した。

ありのままの酪農を理解する

木嶋牧場では、ニセコエリアで地域産業体験や修学旅行の手配を行っている企業を通じて、修学旅行の受け入れを行っている。酪農の仕事について知ってもらうこと、理解をしてもらうことをきっかけに酪農従事希望者を増やすことを目的として、これまで年間700〜800人ほど受け入れてきた。

まず、「牧場って臭いよね、っていうのを、覚えてもらうことが大事だと思っている」と木嶋さん。昨今、牧場の近くにも人が移住するようになり、匂いや泥の問題で訴訟を起こされるケースが有る。メディアなどでは、酪農というと牛が放牧されているきれいな景色が宣伝されることが多いが、それは現実の状況とは少し離れたものだ。

美しいものだけを見ようとするのではなく、まずは牧場のにおいを知ってもらうこと、そして、「あ、このにおい嗅いだことある」と気づいてもらい、「そういえば近くに牧場あったよね。牧場ってこういうもんだよね」と理解してもらえるようになればこのような問題は減るのではないかと、木嶋さんは語る。

今は、ありのままの酪農を理解してもらえるよう、その種まきをしている。こうした取り組みは、地方に移住する人たちに、そこでの暮らしや産業、文化を理解し生活してもらうことにも繋がるものだ。

木嶋牧場のこれから

木嶋牧場には、現在牛舎が2つある。もし新規就農を希望する人がいれば、そういう人に入ってもらい、何かあったときにお互いに助け合いながら、共同で牧場を使っていくという方法も考えている。「自分が今の仕事を引退する時には、また別の人が入ったりできるしね。一人で酪農をやるよりも、近くに仲間がいることで、知識や視野を広げたり、例え喧嘩しても張り合う人がいる方が生きてく中ではきっと楽しいだろうと思う」。そういう場所になっていったらいいな、と木嶋牧場の未来を想像する。

木嶋さんは、木嶋牧場にとってのより良い酪農のあり方を常に考え仕事を行うだけでなく、人々が酪農という仕事や産業を正しく理解することを促し、その存在を受け入れて地域の中で共存できるよう、ありのままの姿を、地道に、そして丁寧に伝えている。多くを話さず、行動で示す木嶋さんから、内に秘めた酪農の未来に対する誠実な思いを感じ取った取材だった。

木嶋さんメッセージ動画

プロフィール
Photo:佐々木 綾香

木嶋牧場

木嶋 智博

ニセコ町出身。ニセコ町にある木嶋牧場の3代目牧場主。日々の酪農の仕事を行いながら、修学旅行などでの酪農体験の受け入れを行い、牛の一生や酪農の大変さ、牛たちとの日々の暮らしなど、ありのままの酪農の姿を若い世代に伝えている。

文責:

佐々木 綾香

インタビュー一覧
お問い合わせ