明日をつくる教室

ニセコの暮らしを支え続ける、愛と思いやりの地域リーダー

牧野工業株式会社 代表取締役

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牧野 雅之

取材日 11月 24日

Photo:佐々木 綾香

ニセコ町で生活する誰もがお世話になっている「牧野工業株式会社」。夏は道路工事などのインフラ整備、冬は大型の機械を使った除雪作業など、町民の日々の暮らしには無くてはならない存在です。そんな牧野工業の代表を務めているのが、代表取締役である牧野雅之(まきの まさゆき)さんです。この地域で暮らしていると、「牧野さんにお世話になった」「困っている時に助けてもらった」といった声をよく耳にします。長年ニセコ町で暮らし、地域の人たちから愛され続ける牧野さんに、これまでの人生や牧野工業の仕事、そしてこれからについて、お話をうかがいました。


除雪の仕事にでかけていく牧野さん。多忙な中、インタビューの時間を作って下さいました。

田舎らしい時間を過ごした子供時代

牧野さんはニセコ町の桂台という地区で生まれ育ちました。当時保育所などは無かったため、小学校に上がるまでは親がつきっきりで子育てをしていたそうです。いつも親にくっついてまわるので、小さい頃は猫や鶏と遊んでいました。大きくなると仲間と草野球をしたり、山に行って木登りをして遊んでいたそう。「田舎でのほほんと暮らしてたね」と当時を振り返ります。

中学校は、今は廃校となった桂中学校に通い、高校は倶知安高校に進学しました。中学生の頃から電子工作に興味を持ち始め、真空管アンプを自分で組み立てたりと趣味で色々な工作をしていたそうです。高校・大学では写真やカメラに興味を持ち、アルバイトで貯めたお金で一眼レフカメラを購入しました。牧野さんの実家は元々農業を営んでおり、家族みんなで農作業を行っていたので、農業の仕事の手伝いがない冬の期間に通える北海道拓殖短期大学に進学しました。


牧野さんが製作されたパソコンのマザーボード

牧野工業の創業

牧野さんの実家には水田が約4.5ヘクタールもありました。米づくりだけでなく、畑で野菜をつくったり、牛や鶏などの家畜を育てたりと、必要な食べ物の多くは自分たちの手でつくっていました。今でこそ農業や酪農という産業の分野ができましたが、昔はそういった区切りはなく、暮らしに必要なものは自分たちで生み出していました。

米作りでは、雪がとける前にモミをまいて苗を作り、5月中に田植え作業を行います。その後の作業は草取り、追肥、水の量の管理などのため、牧野さんのお父さんは空いている時間にさまざまな仕事を立ち上げました。牧野工業の創業のきっかけは、古くは昭和24年頃、屋根柾、下駄製造業に始まり、昭和42年玉石、砂利販売業、その後昭和45年に建設業を開始したのが現在の牧野工業です。

大学を卒業後、牧野さんはお父さんが創業した牧野工業で働き始めます。代表取締役に就いたのは平成元年、牧野さんが30代前半の頃でした。40代半ばくらいまで、牧野工業の仕事をしながら農業の仕事も続けてこられたというのは驚きです。


地域の人たちの暮らしを支える牧野工業

綺羅乃湯で尽力した10年間

牧野工業での仕事以外にも、これまでさまざまな場や組織で活躍されてきた牧野さん。地域の人たちの憩いの場である温泉施設「綺羅乃湯」の支配人、また綺羅乃湯を運営する(株)キラットニセコの代表取締役を務めていた時期もあったそうです。

「平成17年に綺羅乃湯の運営が指定管理者制度になる時、当時の町長から支配人への就任を依頼されて経営を引き受けた。その翌年に(綺羅乃湯の)代表取締役に就任して、そこから10年務めたね。綺羅乃湯に来てくれるお客さんが減ってきて、燃料価格もどんどん高騰していたから、経営が大変な時期だった。自分たちにできる、ありとあらゆる取り組みを実施してきた。」

牧野さんがまず取りかかったのは、水道光熱消費量の削減。効率的かつ効果的な運営を行うために、使用する燃料の種類を変更し、館内の温度管理や営業終了後の浴槽の温度管理などを行いました。その結果、平成17年度の消費量は、なんと燃料が25.5%減、上下水道は26.5%減、そして電気は8.1%の削減に成功しました。翌年度もさまざまな対策を行い、そこからさらなる消費量の削減に成功し、平成17・18年度で合わせて約3分の1の消費量削減を達成しました。

こうした経費削減の取り組みの他にも、より多くのお客さんを誘致するための冬のイベントを企画。シーニックバイウェイ北海道が企画する冬のキャンドル点灯イベントに参加したことをきっかけに、巨大な雪壁を使ったオブジェや造形物の製作を本格的に行うようになりました。その他、職員みんなでアイディアを出し合い、ハロウィン時期のカボチャランタンづくりや落書きコンテストなど、現在も継続して行われているニセコの名物イベントを企画していきました。


牧野工業の重機を使って製作した雪壁。写真に写っている人を見るとその大きさが際立ちます。


雪を使った構造物まで!雪のチャペルで挙式した人もいるそう。

地域の暮らしに必要不可欠な仕事

牧野工業の事業では「建築以外のことは色々やる」のだそう。上下水道や道路などの大型のインフラ整備をはじめ、夏は除草、冬は除雪の仕事など、その内容は多岐にわたります。その時その時によって実施する事業内容が異なるようで、町の政策によっても仕事の内容が変わってきます。

「ニセコ町内の道路はずいぶん作ったね。多分3分の1くらいは作ってるんじゃないかな。こういう仕事は屋外労働が多いけど、自分たちが作ったものが地域の人に親しまれて、長く残っていく。みんなに使ってもらえる地域のためのインフラ整備だね。」

最近では、除雪の仕事がものすごく増えてきているといいます。ご自身でも除雪の仕事に出ることがあるようです。

「除雪はとても大切な仕事。ニセコエリアは豪雪地帯だから、車を走らせたり、地域の人たちが生活するために無くてはならない仕事だと思う。いかに、安全・迅速・丁寧に行えるかが重要。暗い時にやる仕事だから、地域のみんなになかなかアピールできないんだよね。従業員の人たちはみんなよくやってると思う。褒めてあげたい。」


牧野工業の除雪オペレーター。丁寧な仕事ぶりが地元で評判となっています。

除雪の仕事は、新聞配達や会社員の人の出勤時間、学生の電車通学など、地域に住む人々の生活を考え、そこに間に合うよう逆算して進めていく仕事。「若い人たちが、これから地域を支える、という強い意志を持ってやっていってほしい」と話します。

牧野工業を含め、地域の仕事における人手不足が課題になっていますが、近い将来の新幹線開通なども見据え、この地域の未来に希望を見出しています。「若い人たちがニセコに集まってきて、自分の会社にも来てくれたら嬉しい」と優しく語ります。


毎年夏にニセコ小学校で行われている重機の写生会。こうした取り組みは、地域の子供たちに普段の仕事を知ってもらう良い機会になっています。

大切にしたい思いと牧野工業のこれから

牧野さんに、牧野工業で大切にしていることを聞いてみました。

「牧野工業では、地域の人とのコミュニケーションを大事にするようにしてる。冬の除雪は困ってる人からの連絡が多いから、それに対してしっかりサービスを提供する。人間が生活するうえで必要となることをしっかりサポートして、誰にでも広く優しく手を差し伸べていきたい。地域のためにいかに奉仕するか、ということをいつも考えるようにしてるかな。」

穏やかな口調で語る牧野さん。地域の人たちを日頃から気にかけていることは、実際に「助けてもらった」という人たちの話から伝わってきます。


気さくで親しみやすい雰囲気の牧野さん。地域の人たちが頼りにするのも納得です!

そして、牧野工業の未来についてこう語ります。

「まぁ、なるようにしかならないよな(笑)こういう会社になってほしいとか、こうしたいとか、そういうのはないね。ただ、近隣町村も含めたニセコ地域の中で、きちっと信頼される会社として地道にやっていければ、それが一番良いんじゃないかな。まだまだ色々な場面でこうした仕事の需要があるだろうし、それに地道に応えていきたいと思ってるよ。」

長年この地域で仕事をしてきて、多くの人たちから頼りにされてきた牧野さんだからこそ、ひとつひとつの言葉に深みと説得力を感じさせられます。

愛するニセコ、その未来のためにできることを

ニセコ町で生まれ、長年この地に住み続けている牧野さん。この地域での暮らしをどのように感じているのか聞いてみました。

「ニセコ地域は四季がはっきりしていて、自然環境が素晴らしいと思う。雪が多くてニセコから離れていく人も多いけど、ニセコは雪が多いことで潤ってるからね。夏は色んな種類の新鮮な野菜が食べられるし、日本海や太平洋も近いから、美味しい海の幸も食べられる。嫌いなところとかは無いね。ただ、急激な観光開発によって自然が破壊されつつあるから、そういった開発は諸手を挙げて喜べることではないかな。」

地域の人たちとの日々の関わり合いを通じて、ニセコに住む人とやってくる人、また昔ニセコに住んでいた人も含めて、きちんと話し合いができる環境づくりが必要だと感じている牧野さん。街をどうデザインしていくか、その枠組みを決めて協議を進めていく必要があると語ってくれました。


地域でさまざまな役を担う牧野さん。地域の人たち、そして地域の未来についていつも考えています。

これまで地域の暮らしを支え続けてきた牧野さんですが、先進的なまちづくりの取り組みを進める、官民連携のまちづくり会社「(株)ニセコまち」の株主であり、取締役も務められています。牧野工業での日々の仕事に加え、ニセコ町の地域の課題を解決しながら持続可能な暮らしを実現するための「NISEKO生活・モデル地区」、通称「ニセコミライ」の構築事業にも携わっています。


「ニセコミライ」の完成イメージ

「ニセコ町内の土木の会社として、地域の持続可能なまちづくりに関われるのは嬉しいことだよね。何十年か後に、素晴らしい街区ができたらいいなと思う。住宅の性能と価格のバランスをうまくとっていけたら。まちづくりには色々な新しい取り組みがあるけど、古参か新参かとかは関係ないと思う。この地域で何がフィットするかはやってみないと分からない。だからこそ、何もやらないよりかは、何かやった方がいいと思ってる。」

地域の新しい挑戦を後押しする牧野さんからは、その懐の深さと地域のリーダーたる所以、そして地域への愛がひしひしと伝わってきました。

最後に

長年ニセコ地域の暮らしを形づくり、地域の人たちに想いを寄せてきた牧野さん。ひとり一人への誠実で丁寧な対応、そして何よりもニセコとその地域に住む人々への愛と優しさが、地域の人たちからの厚い信頼に繋がっているのでしょう。さまざまな人たちを受け入れて見守る寛容さ、まちの未来を見据えて新しい挑戦を行いながらも、目の前にある仕事に誠意を持って取り組む姿勢。地域のリーダーとはこういう人のことを言うのだと、改めて気付かされた取材でした。


お茶目な一面も併せ持つ牧野さん。笑った時のほころんだ表情が素敵でした。お忙しいなか、快くインタビューをお引き受け頂きありがとうございました!
プロフィール
Photo:佐々木 綾香

牧野工業株式会社 代表取締役

牧野 雅之

ニセコ町桂台出身。北海道拓殖短期大学を卒業後、有限会社牧野重機土木に入社。牧野工業が株式会社化されたのち、平成元年に同社の代表取締役に就任。インフラ整備や除雪をはじめとした、地域の暮らしの要となる多様な事業を展開している。牧野工業で代表を務めながら、平成18年には綺羅乃湯を運営する(株)キラットニセコの代表取締役に就任。10年間、綺羅乃湯の経営・再興に尽力した。地域住民からの信頼も厚く、さまざまな組織や団体の役職も務める。ニセコ町の地域の課題を解決しながら、持続可能な暮らしのモデルをつくるための「NISEKO生活・モデル地区」構築事業にも携わり、同事業を進める官民連携のまちづくり会社「(株)ニセコまち」にて取締役も務める。

文責:

佐々木 綾香

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